蛭子能収

 蛭子

名前: 蛭子能収
生年月日・年齢: 1947年10月21日
愛称: 
所属: ファザーズコーポレーション
ブログ: http://ameblo.jp/ebisuyoshikazu/
twitter: https://twitter.com/ebisu_jp/
プロフィール:

 漫画家?である蛭子さんは、大のギャンブル好きは有名な話。

 ラスベガスのカジノに繰り出したり、
 3度の飯よりパチンコが好きだと豪語したり・・・。

 競艇で、蛭子さんが倍率の高い舟券を広く買うことから付いた買い方の名前が「蛭子買い」。
 その“功績”を買われてか、地元・長崎の大村競艇場で「蛭子能収杯」という冠レースも開催された。

 06年に19歳年下の女性と再婚したが、初デートに誘った場所が多摩川競艇場。
 当日の予想は外したが、お嫁さんはゲットした。
 
 そういうエピソードや特質なキャラクターからか、
 一定の層からの支持は厚く、本人をモチーフとしたパチンコ台「CR蛭子能収」「CR蛭人」(高尾より発売)も登場するほど。
 
  CR蛭子能収


 そして、何より蛭子さんを語る上で、
 外せないのは「賭け麻雀逮捕事件」である。

 ちょっと興味があったので、掘り下げて調べてみました♪


<蛭子能収逮捕事件>

 平成10年秋に、
 歌舞伎町のリャンピン東風戦のフリー雀荘に対して行われた一斉検挙の締めくくりだった。

 きっかけは、東京上野だった。
 上野にある東風戦のフリー雀荘から某広域暴力団に対して2000万円におよぶ上納金が流れていたことが、新聞記事になった。

 そこで、警察は、東風戦のフリー雀荘が暴力団の資金源となっていないかを調べ始めたのである。
 対象となったのは、リャンピン東風戦のフリー雀荘だった。


 そして、リャンピン東風戦のフリー雀荘が30軒ほど集まっていたのが「眠らない街」歌舞伎町であった。
 当時、すでに他の地域ではフリー雀荘のレートは1,000点100円(ピン)ないし1,000点50円(テンゴ)が主流となっていたが、そんな中でも歌舞伎町はリャンピン東風戦の店が集結し、その本場となっていた。

 麻雀ライター・福地誠の言葉を借りれば「麻雀が博打の空気を発していた最後の地域」だった。

 そういうわけで、歌舞伎町が警察の標的になった。
 リャンピン東風戦のフリー雀荘は、いっせいに実質的な営業停止に追い込まれていった。


 その締めくくりが、蛭子逮捕だったのだ。


 ちなみにこの話に関しては、面白いうわさもあった。
 警察は、「抑止効果を高めるためには、100人の一般人より1人の有名人を」といいうわけで、誰か有名人を捕まえなければと考えた。


 そして、ターゲットになったのは、雀豪としても名高い大物作家のAだった。
 ところがAは、懇意の麻雀プロから「今、歌舞伎町で打つのはヤバいよ」という助言を受け、歌舞伎町から姿を消した。
 結果、Aは難をまぬがれ、かわりに蛭子が逮捕される羽目になった・・・・。

 真意のほどは分からない。
 しかしいずれにせよ、逮捕された蛭子は運が悪い。
 お気の毒として言いようがない。

 その後、リャンピン東風戦のフリー雀荘は東京から姿をけした。
 少なくとも表向きの看板を出している店はない。

 ※ 賭け麻雀はいくらから捕まるのか? 津田岳宏著 よりほぼ引用
 

 蛭子さんいわく「賭博という意識はなく、小遣い銭で遊んでいるつもりだった」
 「(人気が上昇したり、家を新築するなど)いいことばかり続いていたので、バチが当たったのかと思った」。
 その上で「ギャンブルの中では麻雀が一番好きだったが、今は牌も握りたくない。今後は公営ギャンブルだけにします」と“麻雀断ち”を宣言したが、
 たぶん賭け麻雀は辞めていはいないだろう(笑


 蛭子さんは略式裁判で10万円の罰金を支払った。

 「前科が付くことを知って驚きましたけど、日本人の10人に1人は前科者と聞いて、なんだかホッとしました」。
 と持ち前のポジティブさを披露。


 4カ月間芸能活動休止期間を経て、表舞台に再登場する際は、
 丸刈りにして反省の意を示したが、実際に“麻雀断ち”したかは怪しいところだし、
 たぶん辞めていない(爆


 ぐだぐだ感おもろい(笑  憎めないキャラです。
 

 

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